2022.05.13 (Fri)
日本に帰ってました

長いことブログを休んでましたが、日本に帰っていました。
妊娠、出産、コロナ、、、とあって3年半ぶりの日本でした。
去年、膵臓癌と告知された母にやっと会うことができました。
そして私がアメリカに戻った日に、息を引き取ったと連絡をもらいました。私がちゃんとアメリカに戻るのを待ってたのかな。
無事、お葬式(ライブで見せてもらった)なども終わり、しばらく経った今はほっとしているような心にぽっかり穴があいてしまったような何とも言えない気持ちです。
アメリカにいるとあんまり実感がわかなくて、半分信じられないような思いです。
帰りの空港で、ひとりコロナの検査結果を待っている間、ふと夜ご飯はどうしようかと思いました。
そこで気がつきました。いつもだったら母が「晩御飯はどうするの?何か持ってく?」って心配してくれてただろうなと。
「なんでこんなに心配するんだろう?」って時には煩わしくさえ感じた母の私への心配。「なんでもっと信用して任せてくれないんだろう?」って悲しくなったりもした。
だけど、今はわかる。信じてないんじゃなくて、母親っていくつになっても子供のことが心配なんだよね。
もうあんな風に心配してくれる人がいない思うと、今となっては寂しくて寂しくてたまりません。
もっともっとボーイズの成長を見守ってほしかった。
まだまだ母との思い出が作れると思ってた。
日本とアメリカと離れていても、この世界のどこかに必ず母がいて、私のことを思ってくれてると思うと安心した。
お母さんってやっぱりすごいな。私も母親になったのに、いつまでも娘なんだな。
ありがとう、お母さん。天国から私たちを見守ってね。
辛い闘病生活もがんばってくれてありがとう。

山に母への水を汲みに行った。ホトトギスが鳴いていた。日本の春、心地よかった。

一緒にいるときは、とんかつもタコスも食べられて、元気だと思ったのに。
私が帰るまできっと必死で頑張っててくれたんだね。無理させたね。ごめんね。ありがとう。
母は希望通り、自宅で最期を迎えることができました。
おかげで私たちは朝から晩まで時間を一緒に過ごすことができ、おしゃべりもすることができました。最後に伝えたかったこともちゃんと言うことができました。
コロナ禍で入院してたら面会も難しいので、自宅での生活を母が選んでくれて感謝しています。
こういうことが実現できたのは、訪問看護師さんやお医者さん、薬剤師さん、介護用品を担当する方達などの協力もあってのこと。本当に尊い仕事だと身を持って知りました。関わる人すべてが良い人に恵まれてました。
そして、近くで支えてくれたお父さん、お兄ちゃん、おばやいとこや親戚一同、お母さんの親友、みんなにありがとうです。私はアメリカで何もできず、ただ毎日のようにFacetimeすることしかできなかったけど、安心して看病を任せることができました。
もうFacetimeがかかってこないと思うと寂しいし、このブログも読んでもらえないと思うと悲しい。でも私にはやらないといけないこと、育児も仕事もあるし、前を向いてこれからもがんばらなくちゃね!少しずつ、心の穴は塞がっていくと思う!がんばるよ、お母さん





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